女性と財産権 東海ジェンダー研究所
講演原稿 1999年4月
 
    『女性と財産権〜戸籍と登記簿に見るジェンダー』
                    河内支部 滝川あおい
 
過日(1999年4月17日)、財団法人東海ジェンダー研究所主催の研究会(於名古屋市女性会館)で『女性と財産権サブテーマ〜戸籍と登記簿に見るジェンダー』というテーマで講演を行う機会を与えられました。司法書士の視点から見たジェンダー論を検証するのに、大変貴重な機会でした。本稿は、その講演の際に用意した原稿です。資料の引用部分もそのまま掲載させていただいたので、いささか難解な部分もあるかと思いますが、ご容赦願いたいと思います。
 
1 はじめに
(1)講演を引き受けるに当たって
 はじめまして司法書士の滝川と申します。この講演は、司法書士から見たジェンダーということで、サブテーマを「戸籍と登記簿に見るジェンダー」と設定させていただきました。報告の大きな柱は、別姓に関する問題と財産権に関する問題ですが、はじめに、レジメにも書かせていただきましたように、私が何故女性に関する問題にかかわるようになったのか、という点について簡単にお話させていただきたいと思います。私は、ご紹介いただきましたように、司法書士となってほとんど20年になります。その間、アメリカの大学で学ぶ機会もありましたし、最近は日本の大学も社会人選抜を始めましたので、そのような枠を利用して、神戸大学大学院・東京大学大学院に在籍して、実務のかたわら、研究に携わったりしております。ご紹介いただきましたように、私の研究テーマ、研究関心はこれまでのところ専ら借地借家問題を中心とする土地住宅問題にあった訳で、決して「女性の人権」や「ジェンダー」等のテーマについて専門の研究をしてきたということではありません。森正先生(名古屋市立大学教授)のご紹介でこのような研究会で報告する機会を与えられたことはとても光栄に感じておりますが、お引き受けはしたものの、本当に期待にお応えできるのかどうか、自信はなかったというのが正直な気持ちです。
 どうして、無謀にもこの講演をお引き受けさせていただく決意をしたのか、ということですが、それには、私という人間のジェンダーに関するバックグラウンドを説明させていただく必要があります。今日は講演を聞きに来たので、滝川の自分史を聞きに来たのではない、と思われる方もありかもしれませんが、本日は大枠3時間という長い時間の中ですので、少しだけおつきあいいただきたいと思います。
(2)私のバックグラウンド
 私は、司法書士会において女性会のお世話役をお引き受けしておりますし、その中で旧姓使用制度の獲得運動、つまり、結婚前の氏で仕事ができるようにする制度を創設する運動に携わってまいりました。この運動のことについては、戸籍制度との関連で後ほど詳しく説明させていただきたいと思います。それから、自分の制度内での旧姓使用問題からさらに発展して、現在は選択的夫婦別姓を根幹とする民法改正運動に取り組んでおります。この間、結婚改姓を考える会、民法改正ネットワーク、アジア女性ネットワーク会議、学校をジェンダーフリーに大阪ネット、等知らず知らずに女性の人権にかかわる市民団体にもかかわるようになりました。さらに、女性問題の新聞「ふぇみん」や「JJネットニュース」等も購読しておりまして、今私は環境的には「女性の人権」にまさに直面し、そして考えざるを得ない状況にあるといえます。
 昔のことになりますが、私が初めて今でいうジェンダーを感じたのは小学生のときです。「どうして出席番号は男子が先なの?」という疑問でした。中学生になってからは「どうして女子は家庭科で男子は体育なの?」という疑問がつのり、同じ様な仲間意識を持つ友達と事実上家庭科の授業をボイコットしたこともありました。このような問題は今やみなさんご承知のように、教育がジェンダーを生む温床となっているという問題意識のもとに、「学校をジェンダーフリーに」という運動の中で、議論されるようになっています。しかし、思春期を過ぎた頃から私は次第に「ジェンダー」について考えることを厭うようになってきました。その頃日本で起こったウーマンリブのカリスマ的存在である「榎木美佐子(?)」 のようなフェミニストの活動はどうしても鼻につき、一言でいえば、女性であることをどうしてあんなにも否定しなければならないのか、よく理解できなかったことがその一つの要因です。逆にいえば、女性であることを利用して目的を達成すればいいのであって、あえて男性の気に入らない方法で自己実現をする必要はないのではないか、という実利主義が私の中に芽生えたといってもいいと思います。このような自己分析は今だからこそできるのであって、当時は無意識でした。ただ、いわゆる「オンナらしさ」と「自己主張」とのせめぎ合いが激しく、男性だったらこんな葛藤はないのに、どうして、という思いは常に自分の中にありました。
 その後、様々な経過があって、私は比較的早い22才という時に結婚することとなります。同時に司法書士試験に合格し、結婚生活と司法書士を開始しました。とはいっても、夫の転勤に伴う海外生活、3人の子どもの出産・育児等で私はそれからのほぼ10年間ほとんど外界とは遮断された社会性のない、といってもいいような生活を送ることとなります。あまりフェミニズムとかジェンダー等ということを真剣に考えるヒマもありませんでした。一つ確かだったことといえば、その10年間で私はひどく自己のプライドを喪失した状態に陥ってしまったということです。もともと父の事務所で開業したということもあって、そして公務員から司法書士に転身した夫にキャリアを追い越され、さらには、ほとんどキャリアのない状態で育児休暇に突入したことも手伝って、仕事に復帰する手かがりさえつかめず、「自分って一体何?」と自問自答する毎日でした。私は20年司法書士をしているといっても、その半分は限りなく専業主婦に近い状態であった訳です。少なくとも、報酬対価のない家事労働・育児に徹するいわゆる専業主婦という状態は、人の自負心を損なう要因を持っているということを私は実際に体験したということができます。
 子どもが大きくなるに従って、少しずつ仕事を始めるようになりました。ここでも又、問題がぶり返しました。父と夫の共同事務所であるが故に、自分の存在意義を見いだすことができなかったのです。安易な道を選んだツケともいえますが、一方父の七光りがきかない顧客からは面と向かって「オンナ相手に仕事ができるか」などとなじられたこともありました。そう、、社会に向かって自己主張しようとしたとき、私はイヤがおうでも、そこには大きなジェンダー・バイヤスという壁があることを認めざるを得なかったのです。最も、当時はジェンダーという言葉は一般的ではなく、私自身は、女性差別というように理解していたと思います。ちなみに、私が、社会的・文化的性差別という意味でのジェンダーという言葉の存在を知ったのはほんの5年ほど前のことです。
(3)旧姓使用制度獲得運動を通じて見たジェンダー・バイヤス
 ジェンダー・バイヤスを最も感じたのは司法書士界で旧姓使用制度獲得運動を展開したときです。ご紹介いただきましたように、私の専門分野は借地借家法です。いわゆる社会復帰をしたときから、私は特に借地借家問題に関心を持って研究や借地借家トラブル110番開催等の社会活動をして参りました。最近では定期借家権(期限が来れば必ず明け渡さないといけない借家制度)阻止運動を展開しています。借地借家に関するテーマで各地にお呼びいただき、お話させていただく機会も多々ありました。借地借家問題は、難しいテーマではありますが、研究・活動した分だけ、評価をしていただくということは実感しました。ところが、一部の女性会員が結婚しても旧姓で仕事がしたいと言い出して、そのような制度がないことの不当性を日司連(我々の親組織をこう呼びます)に訴える運動を開始したところ、当局の受け止め方はそれまで借地借家問題にかかわってきた私に対するものとは全く違いました。旧姓使用問題についてはやればやるほどバッシングを受け、(少なくとも当局からの)評価は下がるのです。私は当初、どうしてことようなことになるのか全く理解できませんでした。 そして早期の制度実現を目指して私がしたことといえば、まず第一に若い頃から繰り返し用いた手法・・「男性の機嫌をとって自己実現を図る」・・・例えば「にっこり笑って、お願いシマース、という」といったようなオーソドックスといえばオーソドックスな手法でした。しかし、結論からいえば、旧姓使用制度問題にこの手法は通じませんでした。
この時はじめて、私は女性が権利を獲得をするのは並大抵のことではない、と実感したのです。同じ法律問題でも借地借家と氏の問題は性質を異にしているのではないか、同じ法律問題といっても女性の人権・男女平等問題は特殊な問題なのではないか、と考え始めたのもこの頃です。
(4)自己否定から出発したフェミニズム
 そして、運動を展開していくうちに、何故この問題にかかわっているのか、という問いかけを自然と自分自身に対して行うようになりました。「若い女性合格者に氏の変更による不利益を被らせたくないから」というのが第一義的理由であることに違いはありませんでしたが、数年に及ぶ運動展開の中で、人のため、というよりは、私は自分自身が本当にフェミニストかどうか試す必要性に迫られていたのではないかと思います。旧姓使用問題はいわば私にとっては、自分が本当のフェミニストになるための試金石であったのです。東京大学大学院に講師として招聘されたカリフォルニア大学のオルセン教授のゼミ「法とフェミニズム」においては、現代ではエッセンシャリズム(男と女は本質的に違うとする考え方)は否定されていることを学び衝撃を受けました。そしてオルセン教授より、フェミニズム運動の本当敵は女性達自身の中にあること、男性社会の価値観を支える女性の存在が問題であることということについてご教示を受けました。そして、私は自分の中にも男性優位思想、男性に媚びることで自己実現をしようとする部分があることを認めざるを得ませんでした。このように旧姓使用問題を契機として真剣に向き合うようになった私の中のフェミニズムは、強烈な自己否定から出発することとなりました。
(5)今日の日を迎えるにあたって
 ところで何故、今日講演をお引き受けすることを決意したかというはじめの設題に戻るのですが、私はかねてから、もう少し自分の中のフェミニズムについて、法律家として、運動にかかわる者として考え方を整理をしたいという気持ちを持っていました。また、東海地区はジェンダー研究の盛んな地域であり、この地区の方々と交流を持ち、ジェンダー論を共有し、自分自身の意識をもう少し高めたいとも思っていましたところ、森先生からこのお話をいただいたのです。「女性の財産権」というような大きなテーマを与えられて荷は重く感じる一方、これを機会に勉強をし、これまで私が関わってきたことをまためてみようと思ったことが、本日ここにいさせていただいている理由です。
 
2 法の視点から見たジェンダー(概論)
(1)憲法14条・24条男女平等原則
 さて、前置きが長くなりましたが、本題に入りたいと思います。本報告の柱は、戸籍と登記簿の二点となっていますが、参加されているみなさんが必ずしも法律の専門家の方ばかりではないということで、最初に簡単に法の視点から見たジェンダー論の概論をお話させていただきたいと思います。まず、憲法14条は、「全ての国民は、法の下に平等であって、人種・信条・性別・社会的身分又は門地により、政治的・経済的又は社会的関係において差別されない」と定めています。この条文の前半は、「法の下の平等原則」を定めています。後半は人種・信条・性別・社会的身分又は門地により差別されない権利「平等権」を定めています。そして憲法24条は家庭生活における個人の尊厳と両性の平等に関し「婚姻は両性の合意にのみ基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の強力により維持されなければならない」としています。現在の日本国憲法の起草過程で、女性の権利がどのようにとらえられ、論じられたかということはそれ自体大変興味深いことであり、辻村みよ子さんの『女性と人権』というご著書に詳しく書かれています。起草過程では、家制度を守ろうとする保守派からの抵抗がかなりあったそうですが、かなりの紆余曲折があったものの、自由民権運動以降、女性の権利を否定し続けてきた日本で、このような新憲法の下でようやく、女性が男性と同等の権利と平等を獲得することができた意味は大きいといえます。この憲法の理念に基づくと、わが国の法制度にはどのような問題があるのでしょうか。
 
(2)民法上の問題
 まず、民法上の問題を検討したいと思います。法律上の明らかな差別、憲法13条・14条・24条違反は民法に最も顕著にあらわれているといえるでしょう。わが国は、国連人権規約委員会・女子差別撤廃委員会から以下の点について度々勧告を受けています。
 
(a)事実上女性に対し、結婚改姓が強制されている(750条)の問題があります。この規定は、性別による不合理な差別を禁じた憲法14条1項との関係が問題となるのですが、憲法14条を形式的平等保障の規定と理解すれば、婚姻によって「夫又は妻の氏を称する」ことを定める民法750条は、性差別ではないため、憲法14条違反ではないということができます。ただし、98%近い夫婦で夫の氏が選択されている現状が実質的不平等をもたらしていることから、この規定が問題となつています。この規定は、最近では憲法14条の問題ではなく、むしろ夫婦の同等の権利を保障した憲法24条に違反すると考えられています。また、一方の改姓が婚姻届時の要件とされるこしとによって、実質的に婚姻の自由を制限するという点においても、婚姻の自由を保障した24条に違反するということができます。これは、後ほど紹介する夫婦別姓ホットライン結果が示すように、多くの事実婚の夫婦が別姓制度がないために意に反して事実婚に甘んじていることからも明らかであるといえます。そして、最近では、結婚改姓を強制している民法750条は、憲法13条が保障する氏名についての自己決定権あるいは氏の不変更権・氏名権を侵害するものとして構成されるようになりました。
 さらに、結婚改姓を強制する民法750条は、離婚による復氏制度がもたらす混乱(767条)を生じさせています。民法767条は、婚姻によって氏を改めた夫又は妻は、協議上の離婚によって婚姻前の氏の復すると定めています。つまり、結婚による改姓によって不利益を被ることが多い女性はさらに離婚によって再び改姓を強制されるという制度になっていた訳で、結婚・離婚というプライバシーを否応がなしに公表せざるを得なかったのです。結婚による改姓をしない男性の場合は、離婚による改姓もなく、不必要にプライバシーを公表させられることもありません。さらにおかしいのは、離婚後の女性の戸籍の問題です。女性は原則復氏復籍といいまして、親の戸籍に戻ることとなってます。もちろん、独立の戸籍を作ることもできる訳ですが、原則は、基の親の戸籍に戻ることになっていまして、文字通り出戻りの感があります。この復籍の制度についてし戸籍法立法当時、GHQから厳しい批判があったそうです*1。一方通常筆頭者である男性は、離婚に伴う戸籍上のダメージは極めて少ないといえます。妻がでていくだけで、新戸籍の作成の届等の煩わしい手続きはありませんし、親の戸籍に戻るということもありません。
 この民法767条は、51年に改正されまして、第二項が追加となっています。第二項は「前項の規定によって婚姻前の氏の復した夫又は妻は、離婚の日から三ヶ月以内に戸籍法の定めるところにより届け出ることによって、離婚に際に称していた氏を称することができる」としています。つまり、原則復氏するのだけれど、特別に届け出れば婚姻の際の氏を称することができるとする制度で婚氏続称制度と呼ばれています。例えば、私の場合ですと、婚姻によって「前川あおい」から「滝川あおい」になったのですが、離婚したとすると原則「前川あおい」に戻ります。三ヶ月以内に届け出ることによって婚氏続称制度を利用し、「滝川あおい」というように称することすができるとする制度です。しかし、注意しなければならないのは、離婚によって復氏するという従来の民法の立場には変わりはなく、婚姻時の氏を称することができるという制度で、もちろん戸籍は別々ということになります。もし、3ヶ月以内に婚姻時の氏を称する旨を届けなければ、その後は、この条文を用いて婚氏続称はできなくなります。このような場合は戸籍法107条の規定に基づいて「氏の変更の申立」をして家庭裁判所の許可を受けなければなりません。私が最近受けた相談事例では、はじめは子どものためを思って婚氏続称をしたけれども(婚氏続称しなければ、母親は離婚によって復氏しますが、子どもは父の氏のままで母子の氏が異なることになります)、その後やはり実家の仕事をすることになって旧姓に戻りたいがどうしたらよいか、というものがありました。つまり、私にあたはめていうならば、離婚の際に前川あおいに戻ると子どもは滝川姓のままで親子の氏が別なのは可哀想なのでとりあえず、婚氏続称することを決め、離婚後も「滝川あおい」であり続けようと思ったけど、実家の家業を手伝うことになって、婚姻前の前川姓で仕事をする必要性がでてきたということです。このような場合も家庭裁判所の手続きが必要ということになります。長々と述べましたが、そもそも婚姻によって氏が変更するからこのようなことになるのであって、生まれてから死ぬまで同じ名前ならば、改姓に伴う悩みなどなくて済むのです。そして、今の社会においてはその不利益・煩わしさ・諸手続に要する費用は全て女性側の負担となっています。氏の更に伴う不動産名義変更も必要で、これにも手数料が必要です。
 
(b)離婚後六ヶ月間再婚禁止期間(733条)及び婚姻適齢に男女の差(731条)
 次に、民法733条の離婚後6ヶ月の再婚禁止期間及び婚姻適齢の男女差を設ける民法731条の問題があげられます。これらの規定は昨年10月28日と29日に開催された国連規約人権委員会最終見解において「女性に対する法律上の差別」として廃止を求められました。1996年2月に法制審議会が法務大臣に答申した案では男女とも18才とする方向性が示されました。再婚禁止期間については、法制審の答申によると現行の6ヶ月から100日への短縮がされています。今日では、父子関係の混乱防止という目的を達するための父子関係の証明も容易になりつつあり、前夫の子を妊娠していないことが明らかな場合にまでも一律離婚する全ての女性に再婚禁止期間を設けることの不合理性が問題となります。この規定によって、具体的には、戸籍のない子どもの出現という問題が起こっています。これは神戸の女性の実例がございます。この女性の場合は、離婚後300日以内に子どもを出産しました。この子どもの戸籍はどうなるのでしょうか。父親は前夫ではありません。しかし、子どもは民法772条の規定によって、前夫の子と推定されるのです。民法722条2項によって婚姻解消若しくは取消の日から300日以内に生まれた子は婚姻中に懐胎したものと推定するという規定の下に、前夫の戸籍に入ることとなります。いくら再婚禁止期間経過後にこの女性と新しい夫が結婚届を提出したとしても、この子どもは当然に新しい夫婦の子とはならないのです。この神戸の女性の場合は、あんなにも嫌っていた前夫が父親となると考えただけでぞっとするということで、出生届を提出していない、つまり戸籍がないということです。住民票はなんとか作れる制度があるということのようですが、パスポートの取得は難しいということで、非常に悩んでおられます。前夫の戸籍に子どもが入るという不可思議な現象が起こる訳ですが、家制度と一体の戸籍制度といわれながら、戸籍が実際の家族の形態とは随分違っていることの一例です。夫婦が離婚した場合、生活は母親と共にするのにもかかわらず、子どもは父親の戸籍に残っている場合も多々みられます。戸籍は家族を表すものではないようです。このように民法には、女性の権利をひいては非嫡出子の相続分差別をはじめとする子どもの権利を侵害する多くの規定が残されています。
 
(3)労働法上の問題
 続いて労働法上の問題です。レジメには、労働法上の差別は近時解消されたと書かせていただきましたが、これには少し補足説明が必要でしょう。まず、労働基準法が改正されました。大きな改正は、女性の時間外・休日労働・深夜業等の女性保護規定が削除され、基準の男女共通化が図られたことです。一方、育児介護休業法は育児又は家族介護を行う労働者の深夜業の制限を義務化しました。これは一定の条件の下に労働者からの請求があった場合に適用されます。そして、男女雇用機会均等法が改正されました。ここでは、雇用における差別が禁止されています。特に募集・昇進配置における男女区別が禁じられたことの影響は大きいと考えられます。これらの規定に反した企業に対してはその名前が公表されるという制裁が加えられることになっています。参考に資料編の1頁をご覧下さい。これは金融法務事情という金融機関向けの法務雑誌からコピーしたものです。これは雇用する側からの問題意識を設問として上げたものですが、いわゆるコース別人事が均等法違反にならないか、ということが問題とされています。一般職に女性だけを採用することが均等法違反になるということが述べられています。私がアメリカにいた当時、もう20年近く前になろうとしていますが、夫がオフィスから秘書採用の広告を新聞に出したところ、男性が面談に来たとビックリしたという経験がございます。アメリカでは20年前に既に当たり前であったことが今日本で実現したのですから、女性に一定の役割を求めようとする日本社会の気質が変わるにはまだまだ時を要するような気がします。このように、法の建前は平等となつたのですが、これらの法改正により女性にも「男並に働け」という労働強要が起こるのではないか、という危惧があります。「男並に」という意味は家事育児に専念する妻に支えられて仕事のみに徹していれば社会的使命が達せられる男性に合わせるという意味です。自分をサポートしてくれる「妻」のいない「女性」の場合、それどころか夫を支える役割まで押しつけられて「男並に」働かないと男性と同様の評価を得られない妻に対する負担は大変なものとなります。東海ジェンダー研究所は特にこのような問題について意識を持って研究をされてきたということのようですので、ディスカッションの時間にでも、労働法・均等法改正の評価についてご意見をお聞かせいただきたいと思います。
 
(4)男女共同参画社会基本法の制定への期待
 次に、近時話題となっています、男女共同参画社会基本法について簡単に触れてみたいと思います。資料編の2頁には、法律の趣旨が書かれています。レジメには、参議院での審議開始間近と書かせていたただきましたが、この法案は既に参議院に上程されておりまして、4月12日、本会議で男女共同参画担当大臣の野中官房長官からの趣旨説明がありました。女性議員らによる活発な質疑が展開されたようです。第4条には、「男女の生き方、働き方の選択に関して社会制度・慣行の影響を中立なものとするよう配慮を求める」と定められていますが、これに関連して税制について宮沢大蔵大臣が答弁に立ち、現行税制が個人課税に徹し切れていない例として「103万円の壁」について「考え直す必要があるかも知れない」と述べたときいています。103万円の壁というのはご存じのように、主婦の方がパート等で収入を得ても103万円までは課税されないし夫の被扶養者でいることができるという制度です。この制度の弊害は婦人税理士連盟・多くの女性団体から批判を受けていることみなさんもご存じのとおりです。税制の問題については後ほど触れる機会があると思います。この男女共同参画社会基本法の問題点は、ここにも上げましたように、極めて理念的法律であるということです。言い換えれば、例えば土地基本法・消費者保護基本法等多くの基本法と同様に、理念としては立派であるけれど、実効性の確保の手段に乏しいという欠点があります。ただし、同じ基本法でも「環境基本法」「障害者基本法」「高齢社会対策基本法」等と比べ、具体的施策が少なく、基本法の審議母体となった男女共同参画審議会の弱さ、いわゆるナショナリマシーナリー、国家機能の立ち後れを指摘する声もあります。つまり、男女共同参画問題は行政機構において真剣に組み込まれていないのではないか、という指摘です。特に地方自治体における推進体制を明文化する必要があるといえるでしょう。ちなみに、ノルウェーの「両性の平等な地位に関する法律」ではこの法律の実施を監視する「平等オンブズマン」および「平等な地位のための不服審査委員会」についてかなり詳しい内容を定めています。デンマーク・韓国・フィリピンでもそれぞれの女性の平等に関する法律のナショナルマシーナリーをそれぞれの法律で定めるという形をとっています。
 以上、法を巡るジェンダーの状況を概括的に述べさせていただきました。これから「別姓」「女性の財産権」という本論に入っていきたいと思います。前提の部分ですっかり時間をとってしまいましたが、ここで5分ほど休憩を入れさせていただきたいと思います。
 
3 夫婦別姓問題〜選択的夫婦別姓実現への長い道のり
 まず、夫婦別姓の問題です。先ほど事実上女性に結婚改姓を強要している民法750条の憲法上の問題点は述べさせていただきました。それでは、歴史的には別姓の問題というのはどのようにとらえられてきたのでしょうか。
 
(1)古代・中世の女性の氏・財産
 女性の氏・名の歴史については久武綾子氏による『氏と戸籍の女性史』という優れたご研究がありますので、久武氏のご研究の中から紹介させていただきたいと思います。なお、古代より氏・姓と財産の問題は密接不可分な問題であったようで、簡単に財産の問題についても触れてみたいと思います。
 久武綾子氏の調査によると、古く律令時代には妻は婚姻によって姓は変更せず、婚姻後も実家の姓を称していたとされています*2。古代の戸籍制度に代わり、中世は土地制度として土地台帳制度や検注帳が機能していた訳ですが、ここでは女性の名は見られなかったということです*3。 ただし、当時女性の財産権自体は認められていたということで、親から譲られた財産を自己の意思と責任に基づいて売却または譲渡できました。夫婦別産制であったということです。また、鎌倉期から南北朝動乱期においては、既婚の女性が実家の姓を称して「某氏女」という表現をとることがしばしば行われました。つまり、女性が結婚後も実家の氏を称する習慣が中世を通じて行われていたのです。例えば「平政子」があげられます*4。女性の財産権については中世に一定の後退が見られます。鎌倉期の都市の女性は売買に関して、積極的に関与しうる状態にありましたが、村落では、南北朝から室町期にかけてそれまで持っていた所有権を手放す事例が見られるようになったそうです。女性が男性と同等の権利を持つことができなくなり、田地を所持する者が少なくなってきた最大の原因は男性が上からの身分的編成に取り込まれて行ったのに対し、女性はその対象から外されていったことにあると考えられます*5
 そして中世後期になると、惣領制が衰退して「家」意識が成立し、女性の地位が低下して親子・夫婦の上下関係が深まり、近世へと繋がることになります。女性に対する社会的差別は「家」を媒介にして、武家社会になって一層はげしくなりました。江戸時代の幕藩体制における戸籍史料としては、「人別帳」「宗門改帳」の二つがあげられます。これらの記録によると、女性は婚姻後は、その個人名が記されずに女房・後家と一般名で記されており、女性蔑視のあらわれといえます。江戸時代には、幕藩体制のため「家」思想が制度化され、武士の家の生まれた女性は家的制度のもとで差別に耐える生活が強いられ、女子は相続権の対象外とされました。
 
(2)戦前の民法制定過程
 現行の夫婦同氏が定着したのは明治31年の明治民法が家制度を確立してからです。それまでは妻は結婚しても生家の氏を称しました。フランスのボアソナードの影響の下に作られたもともとの民法草案は旧民法と呼ばれていますが、ここでは家制度の色はそれほと濃くなく、西洋的夫婦一体観的な氏制度が示されていました。しかし、この旧民法は施行が延期され、明治民法においては、より強固な家制度が提唱され「戸主及び家族はその家の氏を称する」ことが定められました。明治民法制定前に戸籍制度は存在していました。明治4年戸籍法が公布されました。明治5年式戸籍が編成され、明治19年式戸籍には「家」を正しく表示することになりました。氏は戸主と同一です。そして、明治31年の明治民法制定に伴う戸籍法では、戸籍は専ら人の身分関係を公証する制度となりました。大正4年の戸籍法改正では、身分登記簿も廃止され、戸籍に一本化されました。
 
(3)戦後の民法改正
 昭和22年に、新憲法制定に伴い、民法が改正されました。ここでは、家制度が廃止され、戸主・隠居・家督相続・庶子の名称等がなくなりました。新憲法・民法における「家」制度の廃止は、戸籍制度に根本的な変革をもたらしました。戸籍制度は家の登録制度ではなくなり、専ら人の身分関係を記録・公証する公文書となりました。   
 民法改正により、夫婦平等の規定(同居扶助義務・婚姻費用分担義務・夫婦別産別管理制・日常家事債務の連帯責任・離婚原因の平等・共同親権等)が定められ、妻の地位の保障(財産分与の創設・相続権の保障)がされたのにも関わらず、わが国における戸籍制度の基本的性格が、一定の親睦団体を単位とし、かつ個人の一代の身分関係の変動を統一的に記録する制度であることには変わりありません。戸籍法6条には、夫婦同氏同一戸籍の原則が定められています。旧戸籍法は「家」を構成する特定の親族共同体を表示していましたが、新民法が家制度を廃止したので、新戸籍法を制定する際にはどのような戸籍の編成を行うか、ということが議論されました。一人1戸籍とすると実務上の困難を来すという理由で現在のような、夫婦と子単位の戸籍が編成されることになりました。「家破れて氏あり」という有名な言葉にもありますように、氏は家制度の名残であるともいわれ、GHQからは、何故「姓」という原案を変更したのか、という指摘も受けました。このように、戦後の民法改正自体が、明治民法の家制度を引きずるものであったといえるのです。それは、民法897条に祭祀承継権が残されていることに典型的に現れているといえるでしょう。祭祀承継権とは、系譜・祭具・墓の所有権を承継する権利のことですが、これらは、相続財産を構成しないとされており、祖先の祭祀を主宰するべき者が承継すると規定されています。
 家制度を廃止した民法改正は画期的なものではありましたが、その後も民法改正に関する議論は続きました。資料編の3頁以下をご覧下さい。昭和30年頃から法制審議会において、別姓に関する議論も行われています。しかし昭和34年には、「夫婦異姓を認めるか否かの問題は検討の余地あり」とされました。その後、平成3年頃から法制審議会において夫婦別姓を中心とする民法改正案について再び検討が開始されます。平成4年には中間報告、平成6年には要綱試案が公表されます。この要綱試案では夫婦の氏についてA案B案C案三つの案が示されました。その後意見照会・ホットラインの開設等を行い、平成8年には、法制審議会は、民法改正要綱案を決めました。同年2月26日に法制審は法務大臣に民法改正要綱案の答申を出しています。しかしながら、法案提出のための閣議決定はなされないまま、法務大臣への答申の段階でストップしてしまいました。
 
(3)法務省答申内容(1996年1月)
 さて、その答申の内容ですが、婚姻適齢の男女平等化(18才)・再婚禁止期間の短縮(100日)・選択的夫婦別姓(ただし、子の氏は結婚時の決定とするいわゆるA案の採択)・五年別居離婚・財産分与における二分の一原則・相続における婚外子差別撤廃が盛り込まれました。
       
(4)閣法提案は無理との判断から議員立法へ
 どうして答申後、法案国会提出のための閣議決定がなされないのでしょうか。法務大臣への答申後、強烈な反対運動が起こったという経過がございます。資料編の7頁をご覧下さい。これは反対派の典型的な主張をまとめたビラです。一時本当に活発になりましたので、ご記憶の方も多いかと思います。
 このような中で、政府は法案提出をほぼ断念しました。民法改正ネットワーク等の市民団体は、なんとか別姓実現をはかろうと、様々な方策を検討しました。1997年には、民主党が議員立法で法案を上程しています。枝野議員が提案理由を懸命に述べたのに対し、自民党の高市早苗議員らが反対の意見を表明しました。今は参議院議員となった福島瑞穂さんも参考人として賛成の意見を述べました。しかし、法務委員会で一度審議されたきりで廃案となってしまいました。市民団体等の働きかけで1998年6月5日には、超党派議員立法により衆議院より再び法案が上程されました。しかし、別姓法案はいわゆるツルシ状態といわれる状態で一度も審議されることなく国会が終了する度に継続審議されることだけが決定して現在に至っています。資料編の8頁をご覧下さい。私が法律新聞に掲載したロビー活動記です(読む)。
 現在、参議院からの法案提案が検討されています。先週確認した段階では、まだ未提出のようですが、円・小宮山・福島議員らが超党派立法による調整をしている最中です。衆議院では、自民党は、がんとして審議に応じようとしていません。自民党は、3日後に提出された定期借家権法案の審議を開始しようとするので、野党議員には、別姓をしてからでしょ、という切り返しをしていただいています。資料編の9頁をご覧下さい。別姓賛成派議員が集会に参加していただいてときのご意見です。とても心強く感じました。
 
(5)旧姓使用制度の必要性
 さて、私がフェミニズムに目覚める契機となった司法書士会の旧姓使用制度の問題に触れておきたいと思います。司法書士試験に合格して、司法書士登録をするとき、戸籍謄本・住民票を添付して氏名を登録するこことが司法書士法等で定められています。そして、登録事項に変更があった場合は、遅滞なく変更届を提出することも定められています。私の場合は、いったん婚姻届を提出する前に登録をしましたので、「前川あおい」で登録しました。その後婚姻届を提出しましたので、規定に従って変更届けを提出し、「滝川あおい」となりました。私たちのような資格制度・登録制度をとる業界では、氏は看板としての意味を持ちます。特に私のように二世・三世の場合は、親の氏を継承することの意味は大きいです。そうでなくても、10年「前川あおい」で仕事をしてきて今日から急に「滝川あおい」という名前で仕事をしろ、といわれても、非常に困ります。私のようにファーストネームが個性的な場合はともかく、例えば「田中恵子」さんが「鈴木恵子」さんに変わったような場合、田中恵子さんに登記の依頼をしていた顧客の方々は、電話の応答や看板が鈴木恵子さんに変更されていた場合、どのようにお感じになるでしょうか。大阪の女性会員の中には、そのような司法書士は知らないと顧客に言われた方がいました。このようなこともあって、結婚したことが顧客に知れたら、司法書士としての私はもう終わりだ、などと真剣に悩む会員もでてきました。そこまで深刻ではなくても、結婚して戸籍上の氏は変わったけど、どこかで自分を残しておきたいという意味で旧姓を使用したいという会員もいました。結婚改姓を強制されている民法のもとで、制度が何も対応できないのはおかしいということで運動を展開しました。幸い、弁護士・税理士には既に旧姓使用制度があるということをききまして、署名活動等も行って、日司連に働きかけを行いました。しかしながら、運動はそう簡単には進みませんでした。
あたり前のことがどうして実現しないのか、私にはよく理解できませんでした。典型的な男性の反応(執行部はほとんど男性で構成されています)として、この運動を『既得権を侵される』と位置づけるもの、『ガタガタいうから余計できない』というもの、『旧姓使用は乱用される危険性がある』等とするもの等がありました。夫婦別姓の次元とは少し違うので、利用しない男性の司法書士としての職務環境に影響を与える制度ではないはずです。確かに規則改正等に伴うの担当者の事務量が増えるということはあります。しかし、制度に伴う諸問題の中で、旧姓使用問題を後回しにする必然性は乏しいと感じました。                 
 私が思ったのは、人権を侵害している者は侵害されている者の気持ちが理解できないのではないか、ということです。一生名前を変える必要のない人は変えることに伴う不利益は理解できないのです。しかし、それでは国民の権利を保全するための法律家として失格です。例えば、私の対してこのような問いかけをする方がありました。「何故、旧姓使用制度ができたのに、運動した張本人が使わないんだよ!制度の必要性について説得性がないじゃないか!」みなさん、いかがお考えになるでしょうか。私は結婚し、司法書士になって20年になります。その前の人生とほぼ同じだけの期間を結婚後の姓で過ごしてしまったのです。もちろん、司法書士登録をする時に旧姓使用制度があれば使っていました。しかし、当時はなかったのです。結果として司法書士としても改姓を強制され、看板その他の変更もされてしまったのです。20年の司法書士としてのキャリアの中で、私がプロフェッショナルとしておつきあいをする方は全て私を「滝川あおい」として認識しているのです。どうして今更「前川あおい」に戻れるでしょうか。そのような無神経な問いかけをした方は、姓を変更することの不利益を理解する資質がなかったのだと思いますし、多くの男性がそうなのではないでしょうか。それが夫婦別姓がガンとして進まない理由なのではないでしょうか。加えていうならば、女性が何かを得ていくプロセスというのは決しておもしろいものではないということではないでしょうか。単純な男性の機嫌取りで制度実現がはかれなかった要因はこのようなところにあるのではないか、と考えます。紆余曲折はありましたが、結果的には日司連を含む関係者の方々のご尽力で制度は二年ほど前に実現しましたことご報告させていただきます。そして、新入会員女性のほとんどが旧姓使用制度を利用または利用予定という現実があります。最近では、同じ様な悩みを持つ旧姓使用ができない会社につとめる方々・公認会計士の方などからの問い合わせがありました。
 
(6)アイスランドでは・・・・
 別姓の問題の締めくくりに、『夫婦別姓時代』で一世を風靡した星野澄子氏が調査研究されたアイスランドの名前の制度を紹介させていただきたいと思います。資料編をご覧下さい。これは、外国人向けのアイスランドの名前とアルファベットのパンフレットです。みなさんも、ご自分の名前をアイスランド風にアレンジしていただきたいと思います。アイスランドでは、滝川あおいは「洋子の娘のあおい」あるいは「典夫の娘のあおい」となります。人は私を「あおい司法書士」と呼ぶ、つまり、ファーストネームが公式な席でも使われることになります。結婚により改姓はしません。人の呼称は名前でよいのではないでしょうか?氏が呼称となる必然性は乏しいのではないでしょうか?
 
4 財産権とジェンダー
(1)財産権の原理
 いよいよ本来のテーマである女性と財産権の問題に入りたいと思います。この問題は、別姓の問題や労働に関する問題と比べてこれまであまり正面からとらえられてきたことはありませんでした。女性の財産権については東京女性財団の『財産・共同性・ジェンダー』という素晴らしいご研究がございます。これからの報告は、このご研究から示唆を受けたものに司法書士として登記を受託する際に財産の名義がどのように決定されるのか、という実例を加えて私なりのまとめを行いたいと考えています。
 まず、妻が財産法に関する地位を得るためには、第一に、完全な権利能力(財産所有能力・法主体となる資格)を持つこと、第二に妻と夫に財産法的な関係が成立すること、第三に妻の夫に対する相続権が承認されること、以上三つの条件が必要であるとされています。ごく当たり前のことと考えますがですが、明治民法典では以上の三点が全て制限されていました。妻は独自で取引をしたり、雇用関係に入ることは制限され、行為能力はありませんでした。また、妻の財産は、夫が管理することとされ、妻の財産から生じる収益は夫に帰属するものとされていました。婚姻費用は夫が負担するものとされていましたが、 婚姻解消時に夫婦財産を清算するという制度はありませんでした。また、妻は戸主の相続人とはなりえませんでした。
 しかし、新憲法の理念の基で、これらの制限は解かれました。戦後は、新しい家族法の下で家制度がなくなり、家父長制度をやめ、妻の無能力制度は廃止されました。そして、第二に夫婦財産関係は、個人主義と夫婦平等原則によって形成され、妻・夫はそれぞれ独立に自らの財産を所有する夫婦別産制がとられました。また、婚姻解消時に夫婦財産を清算するという意味で、離婚の際の財産分与制度が設けられました。この財産分与制度についてはGHQは、二分の一制度を導入するように示唆しましたが、これは受け入れられず、今回の民法改正要綱案に取り入れられることとなりました。そして、家制度の廃止によって、家督相続はなくなり、遺産相続に一本化されました。妻の夫に対する相続権は強化されました。相続分についてはその後にも改正が行われ、配偶者相続分は子どもと共にする場合は、二分の一、直径尊属と共にする場合は三分の二、また、兄弟姉妹とともにする場合は4分の3にまで引き上げられました。ただし、配偶者の相続分の引き上げについては、専業主婦の優遇策で女性の社会進出にマイナスになっているという批判もされました。
 少し話しは横道にそれますが、相続登記は司法書士業務のうちかなりの割合を占めるものと思われますが、特にトラブルが起こりやすいケースは、子・親がないときで、兄弟が相続人となるため夫の兄弟と妻の間での遺産分割を巡るトラブルが絶えません。子どもさんがいない時は遺言を公正証書で作っておいてほうがいいのですが、遺言の習慣自体が定着していないので、なかなか難しいです。
      
(2)現行法定夫婦別産制の盲点
 武家社会の到来とともに家制度を根幹とする身分制が定着していく中で女性の位置づけが低くなり、家の中に吸収され、女性は財産を取得・処分する主体からは外されていきました。近世までに定着した身分制度を支えていた家制度は、明治に入ってから、身分制度が廃止された後にも国家が土地と人を管理する手段の一つとして残り、ますます強化されていきました。このような中で、新憲法によって家制度が廃止され、妻の無能力制度が廃止されたことは極めて画期的なことであったことはいうまでもありません。しかし、一方この別産制に対しては批判も存在します。
別産制が妻に実質的不利益をもたらすとの指摘があります。特に、専業主婦の夫に対する功労度を無視する、つまり「内助の功」に対する評価がなされていないというものです。これは「夫婦財産の共同性」という論点で論じられています。昭和40年代以降、夫婦の財産の共同性に関する判例がいつくか現れ始めますが、そこでは、厳格な別産制の文言解釈を回避するものが見受けられます。例えば、共稼ぎの場合は夫単独名義の財産であっても共有と推定するというようなものです。また、学説上も専業主婦について不利益をカバーすることを目的としたものが現れるようになります。別産制により夫が自分の収入に基づいて自分名義の財産を形成したとしても、「夫婦財産の共同性」を理由に、妻財産を妻と共有することを認めるという考え方です。それでは、「夫婦財産の共同性」を認める根拠は何なのでしょうか。
 例えば、私の父は司法書士で、母はときには事務所の手伝いをするものの、実質的には専業主婦の人生を送っています。母の夫婦財産の対する意識が専業主婦の最たるものであると思いますので、紹介させていただきたいと思うのですが、母の基本的認識は「夫名義の財産は自分が管理し、自由に使える」というものです。確かに母は家事をし、父の健康管理を行い、事務所の収入・不動産の収入等の管理を行い、父が存分に仕事をできるような環境を整えています。そして、事務所からも給料をもらっているのですが、母の意識はその給料の範囲内ではなく、父の財産全体を自分が管理しているが故に、自分にも処分する権限があると考えている訳です。従って父親名義のキャッシュカードやクレジットカードを使用することにいささかの疑問も持ってないのです。このような典型的な専業主婦の方の意識というのは、自分も寄与しているのだから、夫が取得した財産は共有のものであるということではないでしょうか。
 この私の母のような意識を法律で根拠づけるとするならば、例えばこのような説明が可能なのではないでしょうか。妻の内助の功の結果夫は自分名義の財産を形成することができたのでから、自分一人で財産を独占することはできず、全部を夫名義にすることは妻からの不当利得である。あるいは、複合財産説という考え方があるようで、現行の民法は婚姻解消時に財産分与という方法で夫婦財産の清算を認めているのであるから、別産制をとっているといっても、夫婦間の対内的な関係においては、何らかの共有性が認められるとするものです。裁判例も学説も、法律が定めた別産制の下で、夫婦いずれかの名義の財産について何らかの共有性を認める方向にあるといえます。
 夫婦財産の問題が顕在化するのは、婚姻中ではなく、むしろ婚姻解消時です。ここで財産分与制度が働くわけですが、その根拠は「妻の協力・寄与に対する評価」とする考え方と「夫婦は家庭を支え、子を養育する共同事業における対等なバートナーである」とする考え方の二つがあります。これは、先週『女性と戸籍』をお書きになった榊原富士子弁護士にお聞きしたのですが、離婚調停等における財産分与は二分の一ルールを原則として始めているそうです。
 
(3)夫婦は財産の名義の決定方法
 それでは、現実の登記受託の際に、夫婦間で登記名義がどのように決定されているかを見てみることにしましょう。二つのマンション登記の例を見てみたいと思います。資料編の19頁と本日配布した一枚物の資料をご覧下さい。これは、私が実際に登記を行っているマンションなんですが、一枚物の方のマンションは価格帯4000万前後となっています。この表に記載されている販売された戸数は総数で43戸あります。このうち、共有が7戸、女性による単有が3戸あります。残りの33戸が男性による単有です。女性が名義に入っている物件は10戸と23%となっています。単有名義で財産を取得した女性の3人はいずれも独身であったように思います。職業は公務員・看護婦等です。共有名義となっているもの7戸はいずれも夫婦による共有です。これらの夫婦はいずれも共稼ぎでした。ご覧いただいたらおわかりいただけると思いますが、妻の持ち分は夫と同じか少なくなっています。この表から読むことはできないのですが、男性単有の場合でも、ほとんどの場合は結婚をしています。中には、働いている妻もおられるようですが、あえて妻の名義を入れないという判断をしています。また、婚姻関係にある夫婦で妻の持ち分・財産が夫より多いケースは皆無であるといえます。
 もう一つの表19頁の方をご覧下さい。これは資料をお渡しした際に分析する時間がなかったものですから、今、口頭で数字をお伝えしたいと思います。事務所内部の資料で汚いメモになっているので申し訳ありません。このマンションの場合は価格帯3500万から7500万と高額です。
契約総戸数がこの表では80戸となっています。このうち共有は25戸で、うち親子で共有のものが1戸ありますので、夫婦による共有物件は24戸となります。女性の単有は3戸ありまして、男性の単有・共有が53戸となっています。80戸のうち、女性が名義に入っている物件が27戸と34%と先ほどのマンションよりも高くなっています。物件の価格が高いのが共有が多い理由かと思われます。このマンションの場合も女性単有の場合の女性の職業は、看護婦などでした。このマンションの場合の特徴的なことは別姓のカップルが一組おられたということです613号の中島さんと難波さんのカップルです。このカップルの場合は、女性が随分年上で、事実婚で通してきました。事実婚の不自由な点の一つにローンの問題があります。最近では住宅公庫は事実婚が物件を購入する際に特に問題としないのですが、銀行など民間金融機関の場合は、関係がはっきりしないという理由で、事実婚カップルが共有する場合は融資をしないとするところもあります。このカップルの場合、ここには持ち分は表示しませんでしたが、妻の方が収入が多いのにもかかわらず、持ち分は妻が10分の4と定めました。その他特徴的なことは妻が10分の1というケースが六件あったのですが、それはいずれも専業主婦でありました。その他にもローン分は夫、頭金は妻にしたいという申し出が何件かありました。専業主婦でも、自分の持ち分を入れたいという気持ちを持っている方がおられたということです。また、「夫婦だから当然に半々」と考えておられるカップルも何組かおられました。専業主婦が持ち分を取得する場合、後に述べる税法との関連で深刻な問題が起きます。
 登記を受託する際に持ち分の相談を受けることは多いです。最も素朴な質問は、「共有にするとどのようなメリットがあるのですか?」というものです。妻の名義を入れることに対する疑問の意味もあるかと思いますが、私は逆に「どうして夫の単有名義にするのですか?」とお聞きしたいと思います。お金を分担すればその分は自分の名義にして当然でありませんか、と思うのです。
共稼ぎ夫婦の場合、実際には婚姻費用の分担をどのように行っているか定かではないといいます。二人のお金から頭金を払い、連担債務者となってローンを払うのです。生活費の分担・ローンの分担はどのように行うのですか?お聞きしてもよくわからないといいます。現実的には女性のほうが収入が少ないということもあるのでしょうが、消費生活にかかる部分を女性が負担し、財産名義顕在化する部分を男性が負担するという傾向にあることは否めないと思います。婚姻生活における女性の財産権への意識の低さ、それを形成してきた歴史的背景を感じます。
 
 (4)夫婦財産契約の意義
 戦後の民法改正で、妻にも夫と同等の権利が認められるようになり、夫婦別産制がとられるようになった訳ですが、別産制が万能であるかというと必ずしもそうではなく、「夫婦財産の共同性」の問題が指摘されるようになりました。それでは、どのような夫婦財産制が望ましいのでしょうか。別産制が問題であるとし、夫婦関係の一体性と共同性を重視して、夫婦財産の共同を認めるとします。その基礎にあるのが、妻は大蔵大臣型の夫婦の一体性の場合と、平等なパートナーシップに立った共同性の場合があると考えられます。現実の夫婦の一体感・共同性は両者が混在しているものと思われます。東京女性財団の調査によると、夫婦の財産に対する共同性の意識は非常に高いのでずか、共同性を法定財産制として固定化してしまうのはいかがなものでしょうか。特にパートナーシップ型の共同性は夫婦は対等であり、職業と家庭において等分の役割を担うことを理想としています。いわば「個」から家族が出発する訳で、「個」の重視という意味においてやはり夫婦別産制が基本となるべきでしょう。その上で「妻が大蔵大臣」的な共同性を夫婦財産のあり方として定めたい場合は、夫婦財産契約を締結するのが理想とえうるのではないでしょうか。
 夫婦間で財産契約を締結することを夫婦財産契約と呼ぶのですが、あまりお聞きになったことのない方もいらっしゃることと思いますので、少し説明させていただきます。わが国の民法にも実は755条以下に夫婦財産制に関する規定が定められています。756条においては「夫婦が法定財産制と異なる契約をしたときは、婚姻の届出までにその登記をしなければこれを夫婦の承継人及び第三者に対抗することができない」と定めています。わが国の民法の夫婦財産契約にかかる条文はわずか五条しかありません。757条は「夫婦の財産関係は婚姻届の後はこれを変更することができない」と定めています。わずか五条しか条文がない上に今読み上げた条文には夫婦財産制をまるで使ってはいけないもののようにしてしまう決定的な欠陥が存在するのです。
まず第一に、婚姻届けの前に登記をしなければならないという点です。夫婦が財産のことについて真剣に考え始めるのは婚姻生活が始まってからであるのが通常でしょうから、届け前に登記を求められても無理というものです。第二に、「婚姻届後は変更できない」とする部分です。夫婦の財産のあり方についての考え方は変化するのが通常ではないでしょうか。婚姻届前に一生続くであろう夫婦の財産関係についての定めを求め、それは変更できないとなると、たとえこの制度を知っていても使いたいとは思わないのが普通でしょう。
 資料編の20頁をご覧下さい。ここに二つの登記例があります。ちなみにこれまで夫婦財産登記制度ができてから登記された数は、総数で500件程度であるといわれています。昭和62年から平成8年までの十年間でいえば、夫婦財産契約の登記件数は19件です。年平均2件程度ということで、現行の夫婦財産契約制度は全く使われていないという状況です。
 第三の問題点を申し上げましょう。夫婦財産契約の登記においては、実質審査が全く行われていないということです。例えば「実例1」をご覧下さい。契約内容の七には「この契約は・・・10年を経過したる時は合意により変更又は解除することができる」としています。先ほど申し上げたましたように民法では「変更できない」と定められており、これは強行規定であると解されています。つまり、明らかに強行規定違反の契約内容になっている訳です。この他例えば「妻の財産の管理・処分は夫が行う」といつたものも見受けられますが、これも公序良俗違反と考えられます。
 どうしようもない夫婦財産契約制度・登記制度といえそうですが、最近では、改正により活用する道はあるのではないか声が聞かれるようになりました。それには諸外国の制度が参考になります。フランス家族法にも精通されている大村敦志東京大学教授によりますと、フランスでは夫婦財産制の普及率は10%以上だそうです。夫婦財産契約に関する条文は170条にも及び、財産契約のひな形はデパートにも売られている程日常的なものであるそうです契約モデルは法律にも定められています。そして財産契約締結には公証人が関与することとなってます。ドイツでも、10%程度の利用率であるといわれ、フランスと同様に公証人が関与するそうです。
 婚姻後の登記を可能とすること、登記後の変更を可能とすること、契約モデルを民法に定め、作成にかかわる職能、例えば司法書士が契約内容の形成にかかわることなどにより、契約内容の実効性を高めることによって、夫婦財産契約制が現行夫婦別産制の問題点を解消する役割を果たすのではないでしょうか。
 
(5)税制と妻の財産
 最後に女性の財産権と税制の問題について触れてみたいと思います。先ほど、マンション登記の受託の際、収入のない妻が二分の一の持ち分を希望することがあると申し上げました。現行の夫婦別産制に基づく税務上の処理では、収入の根拠がない持ち分については夫からの贈与とみなされ、贈与税が課税されることとなります。この点については有名な我妻博士と妻のお話があります(紹介)。それでは、夫婦財産契約で婚姻後に夫が取得した財産は夫婦の共有とするということが定められた場合はどうなるのでしょうか。資料20頁の実例2のケースです。直接調べた訳ではないのですが、大村教授によりますと、この点については昭和60年代に判決がありまして、夫婦財産制が適用された夫婦共有登記に関しても、やはり贈与税の対象とされたそうです。これでは、税制が女性の財産権を制限しています。ちなみに、居住用財産については、20年婚姻関係にある夫婦間贈与枠2000万というのがあります。
 税制に関して加えることがあるとするならば、パート主婦に対する税制優遇措置の問題があります。いわゆる103万円枠と呼ばれるものですが、この制度は雇用される意欲を抑制し、女性を家に縛る制度であるとして批判の対象になっています。女性保護制度が女性の開放を阻んでいることの典型例です。また、この制度は労働対価を抑制する作用も持っています。資料編の21頁をご覧下さい。この記事を見てみなさんどのようにお考えになりますでしょうか。パート社員に正社員と同様の責任を求め、ソフトな接客をさせているという記事なんですが。私は新聞記事におけるジェンダーバイヤスは深刻であると思います。 
 
5 まとめ
 
 今日は自分の能力を越えて広範囲なお話をさせていただきましたので、どのようなまとめを行っていいものやら、悩みました。また、必ずしも深く研究をして報告をしたということでもありませんので、部分的に不正確なところもあったかと思います。この後の討論の時間でご指摘いただければ幸いです。
 今日は主に法の視点から見たジェンダーということで、戸籍・登記簿という私の職務に密接した二つの媒介を通じてまとめてみました。戸籍・財産権見る女性の歴史を今回改めて振り返り、
感傷的ではありますが、改めて女性のという存在の悲哀を感じました。先週の日曜日、疲労度が激しく歩いて五分でいける小学校に選挙にも行かず家で寝ていたのですが、辻村みよ子さんの「女性と人権」を読み返しているうちに、先輩達が頑張って得た参政権を私は行使しなかったんだと、恥ずかしく思いました。このようにして思えば、今当たり前として受け止めている権利の一つ一つが獲得の歴史の賜であるわけですね。
 私は司法書士という専門職にあります。今回報告させていただく準備をするうちに、ジェンダーは、法制度・税制等国家が定める大枠から発生するではないかということを実感するようになりました。制度が伴わないことろにジェンダー・バイヤスがない実態は発生しないのではないでしょうか。氏・財産権の歴史は、女性という「個」が「家族」「会社」あるいは「社会」のためという名のもとに男性という「個」の犠牲になってきた歴史であったといっても過言ではないと思います。そのようにならないためのシステムづくりが必要であると思います。そのためには、男女共同参画社会基本法の理念に実効性を持たせるためのチェック機関が必要ではないでしょうか。今のままでは、口当たりのいい基本法さえいできればいいと考えられており、真剣な国家組織的対応は検討されていないという気がします。

*1 榊原富士子『女性と戸籍』(1992)78頁。
*2 久武綾子『氏と戸籍の女性史』(1988)16頁。
*3 久武綾子『氏と戸籍の女性史』(1988)54頁。
*4 久武綾子『氏と戸籍の女性史』(1988)59頁。
*5 久武綾子『氏と戸籍の女性史』(1988)62頁。
 

トップページへ